狂ってたのは、俺か、時代か?画鬼 狂斎
幕末から明治にかけて活躍した画家
名前は知っている、観たこともある、ただ意識したことはない。
「画鬼 暁斎」@三菱一号館美術館
http://mimt.jp/kyosai/
河鍋暁斎
錦絵は歌川国芳を師とし、日本画は狩野派を学ぶ。
日本画・錦絵の両方を学んだ人も珍しい。
幕末から明治にかけて、日本の美術品は大量に西欧へ流出
人気画家だった暁斎の作品も然り
今回の展覧会では、明治期にアメリカに渡り、現在はメトロポリタン美術館に収蔵されている作品の10数点が里帰り。
これが素晴らしい。1点残らず全てが素晴らしい。
西欧文化を羨望し日本文化を軽んじた当時に於いては仕方無いことだが、こんな素晴らしい画が海外にあるなんて残念な気がする。
まぁでも、だからこそ状態良く保存され、今も観ることが出来るのかもしれない。
三菱一号館を設計・建築したのはジョサイア・コンドル
彼は暁斎に弟子入りし日本画を学び、ついには「暁英」という名を授かる。
なるほど、彼の画もかなりのものだ。
向かって左が暁斎の「鯉魚遊泳図」
向かって右が暁英の「鯉之図」
名前は知っている、観たこともある、ただ意識したことはない。
「画鬼 暁斎」@三菱一号館美術館
http://mimt.jp/kyosai/
河鍋暁斎
錦絵は歌川国芳を師とし、日本画は狩野派を学ぶ。
日本画・錦絵の両方を学んだ人も珍しい。
幕末から明治にかけて、日本の美術品は大量に西欧へ流出
人気画家だった暁斎の作品も然り
今回の展覧会では、明治期にアメリカに渡り、現在はメトロポリタン美術館に収蔵されている作品の10数点が里帰り。
これが素晴らしい。1点残らず全てが素晴らしい。
西欧文化を羨望し日本文化を軽んじた当時に於いては仕方無いことだが、こんな素晴らしい画が海外にあるなんて残念な気がする。
まぁでも、だからこそ状態良く保存され、今も観ることが出来るのかもしれない。
三菱一号館を設計・建築したのはジョサイア・コンドル
彼は暁斎に弟子入りし日本画を学び、ついには「暁英」という名を授かる。
なるほど、彼の画もかなりのものだ。
向かって左が暁斎の「鯉魚遊泳図」
向かって右が暁英の「鯉之図」